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総持寺 (西東京市) : ミニ英和和英辞書
総持寺 (西東京市)[そう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [そう]
  1. (n,pref) whole 2. all 3. general 4. gross 
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
東京 : [とうきょう]
 【名詞】 1. Tokyo (current capital of Japan) 
: [みやこ, きょう, けい]
 【名詞】 1. capital 2. metropolis
: [し]
  1. (n-suf) city 

総持寺 (西東京市) : ウィキペディア日本語版
総持寺 (西東京市)[そう]

総持寺(そうじじ)は、東京都西東京市田無町三丁目にある、真言宗智山派の寺院山号は田無山(たなしさん)。別名「田無不動尊」。
== 概要 ==
総持寺の創建年代は不詳だが、元和年間(1615年 - 1624年)、法印権大僧都俊栄和尚が、谷戸に法界山西光寺〔『新編武蔵風記稿』、西光寺 - 除地、高6石2斗9升4合。小名宿にあり。同宗、同末(真言宗新義、豊島郡石神井村三宝寺末)、法界山大乗院と号す。本堂8間に5間半南向。本尊不動木の立像にて長2尺許。開山詳ならず。観音堂 - 本堂の左にあり。2間に3間半、観音は木の立像長1尺5寸許。〕として創建、慶安年間(1648年 - 1651年)、現在地へ移転したと伝えられている。江戸時代1603年 - 1868年)、尉殿権現社(現・田無神社)の別当寺を勤めていた。1875年明治8年)、西光寺と近隣の密蔵院〔『新編武蔵風土記稿』、密蔵院 - 除地、高3石5斗5升。小名宿にあり。真言宗新義、豊島郡石神井村三宝寺の末。楽王山常楽寺と号す。本堂7間に6間南山、本尊薬師。木の坐像にて長8寸。開山詳ならず。弁天社 - 本堂に向て左の方にあり、小祠。地蔵堂 - 本堂に向て右の方にあり。堂2間四方、木の立像なる六地蔵を安置す。共に長1尺ばかりあり。〕、観音寺の3寺が合併して創建し、田無山総持寺と改称した。
関東三十六不動尊霊場〔関東三十六不動尊霊場の案内 - 猫のあしあと 総持寺 〕の第十番札所に数えられ、多摩八十八ヶ所霊場〔多摩八十八ヶ所霊場の案内 - 猫のあしあと 総持寺 〕の第三十三番札所である。東京百景〔東京散歩・東京散策 東京100景・TOKYO100 - 田無山・総持寺 〕にも選ばれている。
西光寺(現・総持寺)本堂は、1840年天保11年)、築後140~150年を経たため、本堂建て替え計画が持ち上がり、西光寺の住職恵亮や田無村名主下田半兵衛が中心となり準備が進められた。1850年嘉永3年)、本堂は完成し、普請成就供養が行われた。その落成を紀念して、境内にケヤキほか数種の樹木を植栽し、その中の一樹が境内にある大ケヤキであると言い伝えられている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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